南斗十人組手とは、南斗の拳士10人を相手に行う組手です。
10人を相手にするといっても、10人まとめて相手にするのではなく、1人ずつやっつけていくスタイルです。
北斗の拳の第85話「めざめる仁星!の巻」では、幼い頃のケンシロウがこの南斗十人組手に挑む場面が描かれています。
このときケンシロウは、ラオウ、サウザー、シュウといった錚々たる使い手らが見守る中、南斗の拳士たちを9人目まで順調にやっつけていきました。
しかし、あと1人というところで、突如シュウが10人目の相手役に名乗りを上げ、ケンシロウはこのシュウにやっつけられてしまいます。
サウザーの話によれば、北斗と南斗の他流試合では、敗者は生きて帰れない掟とのことです。
そしてこのときもサウザーは、この掟に従い、南斗の拳士らに命じて、シュウにやっつけられたケンシロウを殺そうとします。
なお、その掟が南斗の拳士らにも適用されるのであれば、ケンシロウにやっつけられた9人の南斗の拳士たちも、当然その後ラオウか誰かによって殺されて然るべきでしょうが、そのような描写は出てきません。
サウザーにケンシロウを殺すよう命じられた南斗の拳士らが(自慢の拳ではなく槍を使って)幼いケンシロウを殺そうとしますが、シュウがそれを止めます。
自ら10人目に名乗りを上げ、ケンシロウをやっつけておきながら、ケンシロウの命を救いたいというのです。
サウザーから「掟は掟だぞ」と咎められたシュウは、「ただで命をくれとはいわぬ」、「おれの光をくれてやる」と言って、自分の両眼をつぶし、ケンシロウの命を救います。
何度読んでもちょっと意味がよくわからない行動なのですが、それはさておき、その後大人になったケンシロウはシュウと再会します。
しかし、あろうことかケンシロウは、その男が命の恩人のシュウであることにまったく気付きません。
顔も、髪型も、服のセンスも、そして目の傷さえも、昔とまったく同じであるにもかかわらずです。
それどころか、ケンシロウはシュウをボコボコにしてしまいます。先に攻撃を仕掛けたのはシュウではありますが。
なぜこのときシュウがケンシロウに攻撃を仕掛けたのかというと、シュウ自身は、ケンシロウの力を試すためであったかのように説明しています。
しかし、実際のところは、両眼を犠牲にして命を救ってあげたケンシロウが自分のことをまったく覚えていなかったことに怒ったのだと考えられます。
仁星のシュウですから、仁義を欠いたケンシロウの態度が許せなかったのでしょう。
そこでシュウは、昔勝ったことのあるケンシロウに思い知らせてやろうと攻撃を仕掛けたものの、大人になったケンシロウに返り討ちにされたため、格好をつけて、ケンシロウの力を試した的な言い訳をしたのだと思います。
このときの二人の攻防ですが、まずシュウは、いきなりハンマーでケンシロウを殴りつけようとします。
しかし、ケンシロウはこのハンマーを難なく破壊してしまいます。
そして、お互い殴ったり蹴ったりした後、ケンシロウは、北斗神拳奥義水影心によりコピーした南斗聖拳でシュウを徐々に追い詰めます。
そのときのケンシロウの言動が問題なのですが、ケンシロウは防戦一方のシュウに対し、「地面が裂ける音が目の見えぬおまえには恐怖であろう」と吐き捨てるのです。
シュウも、自分の両眼を犠牲にして命を救ってあげたケンシロウからそのような暴言を吐かれたのですから、本当に可哀そうです。
最終的にケンシロウは、「やはりあなたはあのときの」と言ってシュウのことを思い出すのですが、この「やはり」という言葉に違和感を感じずにはいられません。
何が「やはり」なのでしょうか。
シュウをボコボコにしているときに、「あれ?もしかして?シュウ?」とでも思っていたのでしょうか。
なかば思い出していながら、シュウのことを「目の見えぬおまえ」呼ばわりしたのでしょうか。
もしそうだとすれば、さすがに血も涙もありません。
ちなみに、この南斗十人組手が行われたのは、世界が核の炎に包まれる前であり、まだ日本は法治国家だったはずです。
そうだとすると、この南斗十人組手に参加した者やこれに立ち会った者は、決闘罪により罰せられる可能性があります。